“いのち”“生きる”を考える◆第2部 鼎談

2014年10月16日 13:07
  • 中村 桂子氏(JT生命誌研究館館長)
  • 梶田 真章氏(法然院31代貫主)
  • 足立 康庸氏(蒔絵師)
 
梶田真章師(法然院31代貫主)
 
 長谷川さんとは長いお付き合いです。最近は「哲学の道」にこだわっておられます。また中村桂子さんとは20年以上、お付き合いさせていただいています。蒔絵師の足立康庸さんとは本日が初対面です。本日の鼎談は足立さんとそのなかまの作品展示会のオープニングがご縁ですので、まず足立康庸さんにお聞きしたいのですが、これま
でどう生きて、何にこだわってこられたのか、また作品に自然の中のいきものや昆虫類が多いですね。そのあたりからお話ください。
 
 
 
 
足立 康庸氏(蒔絵師)
 
そうですね。私の作品には、鳥や魚、虫などいきものの図案が多いです。子どもの頃から虫や魚が好きで、庭にいる小さないきものをよくながめていたからだと思います。父親にはよく桂川に連れていってもらい、魚をとりました。とった魚は家にもちかえって飼い、餌をあげるなど世話をしながら飽かずに眺めていました。
とにかく子どもの頃からいきものが好きだったですね。夏になると虫を見て、「どうしてこんなかたちをしているのか」と、不思議な形態に興味をもったものです。それがいつしかインプットされ、今も作品の中に蘇ってくるのだと思います。
なぜ多いのかということを考えてみますと、自分の日常生活の中で、目の前でがんばって生きていることに気づくのです。
ある時、ジョロウクモがベランダでクモの巣を張っていました。だいたい8月には獲物がかかるのですが、その年は10月になっても獲物が捕まらないので、それまでずっと餌を食べていなかったのです。霧吹きで水をかけてやると、のどが渇いていたのか、クモの巣にかかった水玉を飲んでいました。冬になって例年より雪が多かったのですが、何も食べていなかったためか、下をのぞくと落ちて死んでいました。それを綿の上に置いてやると、2時間後にお尻から茶色の水のようなものを流していましたので、死んだことがわかりました。人間と同じですね。お腹を見ると大きな2本の筋が空腹のためついているのです。その忍耐力に驚きました。
生きていたジョロウクモのように形を整え綿の上に置いてスケッチをさしてもらいました。クモの巣上のクモをスケッチする時、近づける距離の限界、結界のようなものがあります。それ以上近づくと、クモはネットを揺らすのです。カマキリでも一定以上、近づくなとカマを構えて威嚇する動作を見せます。蒔絵ではこうした自然の昆虫やいきものを観察しながら題材にすることが多いですね。とくにクモが多いです。
趣味の多かった父親には、他にも教わったことがたくさんあります。彫刻や絵もそのひとつで、美術館にもよく連れていってもらいました。その都度そこでいろいろなものを吸収し、絵画の素養を培ったのだろうとふり返ります。だから絵画の師匠は「父」と「自然」です。
 
梶田師
どうして蒔絵作家になられたのですか。
 
足立氏
漆芸をはじめたのは40歳を過ぎてからですが、その数年前から、仏教彫刻や截金も習いはじめていました。傷んでしまった漆器を自分で直せないかと思ったのがきっかけでした。その後蒔絵に入ったらとすすめられました。
当時、実家は東山高台寺鷲ヶ谷の麓で家業である料理屋を営んでおり、彫刻や漆はこころを休めるための趣味として楽しんでいました。
その後、漆と彫刻の個展を開いたことで創作活動に開眼し東山におられた川瀬表完先生に教えを請い、その後蒔絵を本格的に学ぶようになりました。このため50歳のときに料理屋と芸術のどちらをとるかで大変、悩みました。当時は従業員がいましたので、なかなか決心がつきませんでしたが、ついには店を閉め創作活動に専念したのです。
蒔絵は、漆を塗って金粉をまく。その金粉が落ちないように、また漆を塗る。艶を出す為に磨きをかける。塗っては磨く、塗っては磨くという、細かい作業のくり返しです。とっても根気のいる大変な作業だから女性には厳しいですね。 でも私が作品をつくり続けるのは、子どもたちに自分が幼い時に見た自然を見せてあげたい思いがあるからです。
個展は開きますが、売るための個展ではなく、より多くの人に見てもらうための個展にこだわっています。2008年には、ミッキーマウス誕生70周年記念の作品を、ディズニーの依頼で手掛けたのも、売るためのものをつくるのではなく、次世代に遺すためにつくるのだという思いがありました。
2014年より祇園の一角で蒔絵工房と和食処「康庸」を一体にした拠点で若い学生らを指導しながら活動しています。
 
梶田師
料理も生きるためのものですね。
 
足立氏
そうです。料理は母親に教えてもらいました。庭にたくさんの柑橘類が育っていました。それらで自家製の多種類の酢をつくってサバなどにかけると何とも言えない優しさ、風味が出るのです。
植物から取り出す酢が体に優しいのです。私の料理屋はいわば家庭料理の延長のようなもので、料理屋さんで習ったわけではありません。
若い学生さんを育てるのに、本物を志向しようと思えば、材料や道具におカネがかかります。そのためにも拠点が必要と考えました。
話がそれますが、白川にイチョウの木がありますが、昨年の夏は暑かったのか、ここへ持ってきていますが、大きな葉が真中で割れているのです。今年は小ぶりの葉で気候によってこうも大きく変わるのだと驚いています。食べ物もそうなのですね。
 
梶田師
では中村桂子さんにお聞きしたいと思います。中村さんとは先ほども言いましたように20年以上のお付き合いです。
「セロ弾きのゴーシュ」を手がけられて震災後の気持ちは変わりましたか?
 
中村 桂子氏(JT生命誌研究館館長)
震災後先ほどお話したように宮沢賢治の作品に行き、まず以前からの仲間である人形使いの沢則行さんを巻き込みました。彼は北海道生まれ育ちで、人形劇の先進国であるチェコの国立芸術アカデミーで学び、チェコを拠点に世界屈指の劇団と共同制作を続ける現代人形劇パフォーマーです。
 彼はプラハにいるので連絡が大変でした。「セロ弾きのゴーシュ」はこれまでもずいぶん演じられてきましたが、本物のチェリストがゴーシュをやったのを見たことがない。それで挑戦しようと、谷口賢記(まさのり)君に声をかけました。彼は京都大学の大学院で生物学を学んだ異色のチェリストです。京都大学交響楽団では学生指揮者としても活躍、それが縁でプロのチェリストを目指してボストン音楽院へ留学しました。その後は、室内楽を中心に日本や海外で活躍しています。父親の維紹(ただつぐ)氏は、東京大学生産技術研究所の特任教授で免疫学の権威、お仲間です。
 人形や舞台はプラハでつくって日本に運んだらコスト的に大変だということで、京都造形芸術大学のウルトラ・ファクトリーの学生たちとの共同制作を思いつきました。
「セロ弾きのゴーシュ」の東京初演は皇后美智子さまもご覧くださり、京都造形芸術大学の学生たちはまたご一緒にと言ってくれました。若い人たちのエネルギーはすばらしい。何かに繋がるといいなと思っています。
足立さんが指導しながら若い学生さんと一緒に作品づくりをしておられる気持ちがわかります。
 
足立氏
確かに若い人たちのエネルギーはすごいですね。私も学生さんらと作品づくりをしていて痛感します。若い人につなげていきたいと思っています。
 
梶田師
いきものとモノの違いは?
 
中村氏
科学的に言えば、細胞でできているものがいきものです。ヒト、ミカン、クモなどすべて細胞でできていて、それらの細胞を見ていると、一生懸命生きていることがわかります。以前は大腸菌で研究していたのです。エサを充分与えると、1個が20分で2個、40分で4個、1時間で8個…と倍々と増え続けます。3日もたたずに宇宙に存在する原子の数より多くなるのです。それほど生きるとは力強いことなのです。
宇宙中にバクテリアが増えないのは、餌が足りないとかがまんしているからです。バクテリアなど普段はつまらないもの、時にはばい菌と言って病気を起こす悪者としか見ませんが、生きものとして見ると、その生き方から学ぶことがありますね。全体の中にあるものとして見ると面白いです。
 
梶田師
いきものの生き方を忘れた人間は大腸菌以下ですね。
いま周囲の人とのなかま意識が急速に失われつつあります。狭い知り合いとはとても仲が良いのに、隣に住んでいる人の顔も知らない。自分に関係ある人と関わりのない人の区別が激しすぎるように思います。
 
中村氏
耐えることの大切さですね。それは、考えずに我慢することではなく、しなやかに対応することですよね。いきものはそれが上手です。機械はきまりきった反応をします。人間もいきものですから、本来はしなやかに受け止めることができるはずなのに、○と×のどちらかにきめて、すぐ諦めたり、争ったりしてしまう。生きとし生けるものを含んだ視点で辛い体験を乗り越えていく力は本当に大事ですね。
3・11は日本人として本当につらい体験だったけれど、社会が変わるきっかけにはなるかなと思いましたが、すでに忘れて都会では経済成長ばかり言っています。
 
梶田師
 それを忘れたのが人間です。
 
足立氏
 私どもの店に馬主さんらがよく来られたので覚えているのですが、「天才」といわれた福永洋一騎手が騎乗中に落馬しました。昭和54(1979)年、毎日杯のレースで落馬し、そのあおりで福永さんは頭からターフ(芝)に落ち、脳挫傷で一時は危篤状態に陥るも、手術を経て一命を取り留めたが騎手生命を絶たれました。
福永さんが乗っていた馬も脚を骨折しましたが、脚を引きずりながら倒れている福永騎手のところにやってきました。馬でさえ恩を忘れないのです。馬は自分の痛さを忘れ、福永さんを助けようとしました。その後、テントの中で馬は殺されましたが…。
 
中村氏
科学者はこころは脳にあると言います。米国の大統領が宣誓する時、片手を聖書に置き、もう一方の手を胸に当てますね。頭には置きません。身体全体を意識しているのでしょう。
私はもう少し広げて、こころは関係だと思っています。今のお話で馬にこころが馬にあるのかということになりますが、福永さんが馬をそれまでかわいがっていたということがまずあると思うのです。そこで、福永さんと馬の間にこころがある状態になったのではないでしょうか。
馬にこころがあったのかと問わずに、福永さんとの関係で両者の間にこころがあったと考えるのが自然でしょう。科学的に脳研究が少し進んだからと言ってまだわかないことが多いのです。
 
梶田師
それはそれぞれに物語があるのです。人は生きて行くうえでストーリーを必要とします。仏教ではいきものといきものの間にこころがあると教えています。それは縁(えにし)の間にこころがあるということです。
では「生命誌」についてお話ください。
 
中村氏
生命誌はヒストリー、歴史物語です。人間も含めてのさまざまないきものたちの「生きている」様子を見つめ、そこから「どう生きるか」を探す新しい知です。英語ではBiohistory。
地球上のいきものたちは38億年前の海に存在した細胞を祖先とし、時間をかけて進化し、多様化してきたなかまです。すべてのいきものがDNA(ゲノム)として、それぞれの体内に38億年の歴史を持っています。DNA(ゲノム)は壮大な生命の歴史アーカイブです。そこにある歴史物語を読み解くことから、生命・人間・自然を知り、それらを大切にする社会づくりにつなげて行きます。
 
梶田師
坊主はすべて因縁ですましてしまうのです。それは誰でも言えるのですが、改めて考えますと、それも科学者のおかげだということです。坊主は二つの関係がわかった気になっていますが、わからせてもらえるのは科学者からです。
 
中村氏
いきものについて細かく調べていくとわからないことが次々と出てきて、それを楽しんでいます。もし生命について全部わかったら失業ですし。
 
梶田師
わかった気にならないと人は生きられません。全部わかったら生きていられないです。
さきほど若い人についてすごいということを言われました。私も若い人と付き合っていますが、先日も「法然院は神社ですか」と聞かれました。ここから付き合わないといけないのです。若い人にとってはお寺も神社もほとんど同じだと思っています。お寺も神社も名前が違っているだけで、幸せのためにお祈りするところだという感覚です。これは坊主も宮司様も努力不足だからです。
御嶽神社の宮司様には、いま出てきて説明してほしいですね。山の神社は何のために祀ってあるのかということです。それは山が恐ろしいから祀ったのです。昔は100日間、精進潔斎をしないと御嶽山には登れなかったのです。富士山などの活火山は畏敬の対象で、昔の人が大切にしてきたことをわれわれが教えてこなかったのです。山に登るには覚悟がいるのです。
山の噴火が急に起こるので驚く訳ですが、そのために宗教があります。全国の神社はいまこそ畏敬の念を育てなければならないのです。若者に願ったらかなえられるというのではなくて畏敬の念をもたせるのが神社の役割です。若者に生きることは厳しいことだということを教えなければならないのです。
9月27日(土)午前11時52分に御嶽山(標高3067m)が噴火、紅葉シーズンの週末の真昼という人出のピークと重なり、50名以上の方々が他界される大惨事となりました。日本では富士山に次ぐ高さの活火山で地元の方から御嶽(これぞ山)と拝まれてきた山で、私が以前に登った時も白装束の方が「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら登られている姿に出逢い、霊峰として拝まれてきた山であることを実感いたしました。
台風、竜巻、噴火など自然現象の前では為すすべのない人間、全ての未来は決して予知・想定し切れないのに予知・想定できると思い込んでいる人間の自己愛が苦をもたらしていると説かれたお釈迦さまの教えを伝え続けてゆくことの重要性を再認識しました。神道で言えば万物への畏敬と感謝の念を持ち続けるということでしょう。 
 
中村氏
その通りですね。科学者・技術者が自分たちは全部制御できると思っていたのに、想像していた通りにいかず、壊れた時に想定外ということで片付けてしまう。自然をもっと見ることですね。自然は想定外だらけですから。
 
足立氏
植物の不思議さにも驚きます。イチョウの葉が種をつけて飛んでいるのです。これも子孫を増やすためでしょうね。科学者でないからわかりませんが、ヘリコプターのようにして種を運んでいます。
 
中村氏
植物は動けないので能動的に見えませんが、そのようなところを見ると見事に生きていますね。
 
梶田師
生きるということは日本語で息をするということですね、内と外とがやりとりすることです。
 
中村氏
内と外とがやりとりですが、生物の場合、空気を吸い込んで中に入り込む、酸素は細胞に入り込み、エネルギー生産など働いて二酸化炭素として出ていきます。
ミルク飲み人形のように通るのではありませんが、食べ物も、イワシを食べると肉が私になるのです。やりとりでなく私になります。私というのはそうやって外との関わりで変わっていくものなのですね。私ということで最近興味深いことが分かってきました。父と母から受け継いだDNAでできている私のゲノム(DNA)で私は生きているとされてきました。それはその通りです。
でも、私の体の中にはあらゆるところにバクテリアがいます。バクテリアにもDNAが入っています。それを集めると人間のDNAの1000倍もあるのです。これを取り除いたら生きていけません。
しかも腸内細菌はひとり一人違うのです。ネズミで腸内細菌のありようにより肥満になるかならないかが決まることが分かりました。太る遺伝子などと言いますが、バクテリアの影響が大きい。内と外とがあいまいになり、私とは何だろうと研究すればするほど、わからなくなります。
 
梶田師
私はわたしでないと?
 
中村氏
ゲノムの中の半分ほどは役割があります。あとの半分の中にウイルスのDNA、人類の祖先に感染したウイルスの残り火が自分のDNAとして残っているのです。その他繰り返し配列など分らないものも多い。でもその量によって病気になったりもします。私と言っても外からのものがだいぶ入っているのです。
 
梶田師
仏教では私をわたしと言わないのです。私はこういう人間ですと物語を語りたくなるのですが、それが自我の確立です。それは対話によって生きていけるのですが、同時に苦しくなるのです。本当ではないのに、私と思いこんでいくので苦しくなるのです。
法然はアホなのは人間だと言いました。お釈迦様が言われていることを実践できないのが人間です。だから自分で苦しくしているのが人間だというわけです。そのままにして生きるしかないのです。
修行したら生きられるという信念をもっている方もおられます。仏教はおもしろく、どんな人にも対応できるようになっています。誰もが仏さんになれるというのです。私はクモだったのかもしれない。ほんまはどうかわかりませんが、信じる人もいます。そう思ったら生きていけるのです。キリスト教も仏教も正しいかどうかわからないのです。
 
中村氏
正しいという思い込みがありますね。それで、戦争もおきてしまう。
 
梶田師
お釈迦さまは自分を正当化するな、絶対に正しいと言うなと教えています。みんなも自分が正しいと思って生きているので、絶対に正しいと言い張れば衝突します。自己の正当性を押しつけるなということです。
 
中村氏
大河ドラマは戦争ばかりですね。しかもいまの戦争は無人飛行機で爆弾を落とすのです。しかも子ども達の上に落とす。科学技術をそのように使ってはいけないことにしなければ。
イスラム側は残酷だと言います、西側はそうではないと思っていますが、より残酷とも言えます。
 
梶田師
自分たちのしていることは残酷ではないと思っています。しょうがないことを前提にしてぼつぼつ努力するのです。現実を知っておかないと、やめてしまうことになります。現実を知って自分でできることをすることです。
願うという日本語は神様をねぎらうということです。神様をねぎらってこころを神様に向けて、私を助けてほしいと、願うのです。願う=まず神様をねぎらって、感謝して私のことも聞いて下さいと頼むことです。そうでないと要求ばかりになります。これはお寺や神社、坊主の責任でもあります。
私は人間とはこんなものやと思っている坊主です。娑婆=忍ぶところということです。浄土がどこかとか、やすらぐところがないと言いますが、この世はしんどいところと以前から話しています。現世に希望を持ち過ぎています。希望とはまれに叶う望みのことです。
現実から出発し、寺があっても役立つ努力をしないといけないと思っています。仏法を説いて残ってきた、そういう寺はほとんどありません。先祖供養、現世利益、観光、墓地の管理、駐車場経営等で残っているところが多いのです。お寺は生きるとはどういうことかを伝えていかなければいけないのです。
 
中村氏
梶田さんのお話はよくわかりますが、現世も楽しくと思うことは悪いことではないのでは?
 
梶田師
願うことはいいのですが、すべてがかなうことではなく苦しいことも覚悟することです。
 
中村氏
なるほど。それを含めて「生きる」ということ、そうですね。
 
会場から
●なぜ中村先生には優しさが出てくるのですか。
中村氏
私は自分勝手な人間で、自分の好きなことしかやってこなかったので。ただ人に恵まれました。両親、先生、なんで巡り合ったのかと思うくらいですが
運が良かったとしか言いようがありません。
 
●欲をもつことはいいのか、悪いのか。植物でも欲を持っているのに、人間ならなおさら欲をもっていると思います。欲とは何でしょうか。
梶田師
欲を持つ以上、苦しむことは覚悟して欲をもつということです。人間には生存欲だけでなく、違う欲ももっています。自分が拠り所となっている時は宗教は不要ですが、それが壊れたときに宗教が必要となることもあるということです。
足立氏
植物は何を伝えたいか、よく見ると子孫を残そうとしていることがわかります。学生に例えばヘチマなら好きなところから見て描きなさい。虫ならただ描くのではなく頭から尾までよく観察して、じっくり観て何をしたいと思っているのか、考えなさいと言います。
 
●足立先生はカマキリやクモが多いですが、ゴキブリやムカデに対してどういう風に考えておられますか。先生は職人、それとも芸術家ですか。
足立氏
職人と思っています。素材はいきものとしてとらえています。漆の木なら10年に1本しかいいものは出ないのです。いのちをいただくので、技法も10年に1つぐらいしかできないのです。筆も自分ではつくれないでしょうと教えています。ですから作品に値段が付けられないのです。
親子でモノの大切さ教えていました。ゴキブリやマムシは殺されるではないですか。殺されるために生まれてきたのかと思うぐらいです。かつて松の木にいる毛虫を父親から殺しなさいと言われたのですが、そっと川に流してほかで生きてほしいと願いました。
 
●私とは何?細胞は自制的ですか?
中村氏
身体の中の細胞はあるところで止まります。しかしがん細胞は止まらないです。がん細胞は自制能力を失ったものです。がん細胞そのものは生きる能力はすごいですが、それによって身体全体がこわれるわけです。一部だけ活性化してはいけないのです。
 
●足立さんの創造の原点はなんですか?また中村さんはノーベル賞についてどう思われますか。
足立氏
カマキリやカエルは卵を産み、脱皮すると共食いを始めます。死んだカマキリは食べないのです。カマキリのはかないいのちということでマンダラに仕立てました。
ヤモリは死んだふりをしていますが、生まれたばかりの赤ちゃんヤモリはすぐ起きて逃げるのです。自分で考えてやるのですね。感動します。そうしたことが創造の原点です。
 
中村氏
私たちの周りでは1901年にスタートしたノーベル賞は、20世紀の賞で21世紀の賞ではないと言っているので。
 
梶田師
私は他者との違いは「怒る」ことではなく「かなしい」ことだと思います。「かなしい」という言葉には、日本人の独特の感情、感性が籠められています。自分を想い、相手を思う。しかし、相手はなかなか思う通りにならない時、人は苦しみを感じます。この複雑な感情を古くから「かなしい」という言葉で表してきました。「愛」という字の読み方の一つにも「かなしい」という読み方があります。
人を愛すれば、その相手からも愛してほしいと願うものです。しかし必ずしも、相手が愛してくれるとはかぎりません。そこに“せつなさ”が生まれます。そのせつなさもまた「悲しい」という言葉を内包しています。
法然上人が説いた800年前、人々の暮らしは非常に貧しく苦しく救いがありませんでした。だからこそ法然上人の言葉は、率直に受け入れたのです。
現代はどうかと言いますと、愛する仕事、愛する人がいて、一生かけた生き甲斐があります。救われているように思いますが、それが執着心になり、悩み、苦しみ、葛藤する原因にもなるのです。執着する限り、煩悩は消せず、人は煩悩とともに生きるほかないということだと思います。
 
長谷川
欲、欲をもたないと人間ではない、生きる価値がないと思うのですが、欲とのかかわりを三人の方に聞いてみたかったです。
社会をつくような内容の話になったのも、法然院はすごいところだと思うわけです。人がそれぞれ生きる中で生きることを考え、みんな認め合って考える場であったらいいなと願っています。
 
(「哲学の道 いま」編集担当 岡田清治)

 

 

—————

戻る